3月
仕事を辞めたい。アルバイトでも掛け持ちすればやっていけていたのに、引き受けてしまった。今の職場は土日祝に休みが取れないし、休みの日でも電話がかかってくるし、もううんざりだ。
毎月3万円ずつ借金の返済をしているのだけど、それが今年の8月で完済となる。この当たりが目処だろう。引っ越し代やら数カ月分の生活費やら貯めて、今の仕事は辞めてしまおう。その後のことは知らない。
一生独り身だと仮定したら、別に正社員で働かなくても良い。じゃあ何をしよう? 本読むだけの人になれたら良いけど、自分はそうじゃない。すぐ思い付くのは、死に場所を探す旅だ。山頭火も言っている。また旅に出た。所詮、乞食坊主以外の何物でもない私だった――寂しい時に読むと癒される。
この人生を、自分だけで充実したものには出来ない。僕は自分の力に限界を感じる。どこに行ったって、何を頑張ろうとしたって、限界を感じる。自分の無能さを嘆く思考習慣が付いたのは良くなかった。昔、就職支援のパソコンスクールの講師に言われた。「出来るのにやろうとしないのは、魂が腐っている」
今日は仕事が暇だった。日曜日なのに、客が少なくて、大変じゃなかった。なのに気分が優れない。読みかけの小説を読み始めても、飽きて止めてしまう。意地になって読み終えようとしているけど、本当はそんなに面白くなくて、読みたくないんじゃないか実は、と思うけど、単に疲れているだけだろう。呑むしか残されていないこの一日に、他に出来ることはないかと、思い付いたのがこの日記だ。こんなネガティブなことを書いているけど、明日からは二連休だ。
まず初日。気分を上げようと代わりに暴力小説を読んでみる。
暴力は、文章を通してみても、興奮する。内側から迸ってくる。逆に映像を通してみると、暴力は外側から入ってくるので、それは苦手だ。漫画や絵もそうで、文章からだけで暴力に触れていたい。心が弱いのだ。でも、暴力を感じて閉塞感から脱出したいという気持ちは人並みか、内気で鬱屈が多い分、並み以上かもしれず、暴力的な小説は好きだ。一人の時に、気分を上げ下げしてくれるので、有難い暴力小説だけど、のりもの酔いに似た気持ち悪さもあって、これも止めた。気分転換しようと、洗濯物を干し、簡単に調理したもので朝食兼昼食を済まし、外に出た。
畑の間を伝いながら、住宅が密集する辺りに出たり、学校の校舎横を通ったりして、時間をかけて国道沿いに出る。本屋に寄り、発売前から気になっていた小説を買う。近くのマクドナルドで読もうと入るが、子供の集団がいて、そういや学校は春休みに入っているのだなと思いだし、何も買わずに出た。喉が渇いていたので、じめじめした通り道に面した個人商店に入ってみるが、誰も出てこなかった。店の前の自販機でお茶を買って、川沿いへ向かう。ベンチで買った本を読み始めるが、太陽光が眩しい。活字を追っていると目がチカチカするし、風が邪魔で、天気が良くても、本は外で読むのに適さないのだと分かる。ベンチを後にする。
ゆっくり屋内で読書出来るところ、例えばカフェは近くにないし、図書館も閉まっている。歩いているとバス停に、一人バスを待っている人がいたので、僕も待ち、5分後にやってきたバスに乗って隣町へ行く。隣町の図書館なら開いていたからだった。着いてから、疲れを感じた。少し歩き過ぎたみたいだ。図書館内の自販機で温かいココアを買って、小説の続きを読みながら呑んだ。
この作品は文章で、身体を破壊していく描写が素晴らしかった。ただただ、小説に人間を出して、壊すことが目的なのかと思えた。小説なのだから、それだけじゃないけれど、この作者は小説で素晴らしい暴力を産み出せる人なのだと感動した。読みながら、反射的に目を背けることがあった。文章に目を背けるなんて、初めての経験だった。今回の新作も、楽しみながら読み進めた。
腹が減ったので、安い食堂に入って、いつものオムライスを食べて帰った。バスは帰り道の途中が終点で、そこからは歩く。心地良い疲労だ。暴力小説を読んで、歩いて疲れて、暴力小説を読んで、酒呑んで寝る。良い休日だった。
二日目は、遠出することにした。
起きてから午前中はずっと昨日買った小説を読んでいた。読み終わる。前作同様、目まぐるしい展開が続き、徹頭徹尾、全く退屈しない作品だった。ほとんどの文に、未知なるアイディアが効いており、驚きとワクワクが溢れる泉の心地良さに時間を忘れて浸った。読み口はライトなのに、緊張を強いられる。殺し合うし、気分が重くなる登場人物たちのトラウマがえぐい。なのに爽やかって。作者の業に拍手したい。読ませてくれてありがとう、と思える作品だった。読み終えた後、つい、押入れの中からこの作者の前作を出して、今回の新作と並べ、目に入る棚に置いた。気に入った本の背表紙を眺めると癒されるのだ。
手持無沙汰となり、髪を切りに行く。理容師のお兄さんに、昨日は暇で近所を歩きまわった話をしたら、あんまり歩き過ぎると将来歩けなくなると言われた。
65歳の男で、暇でお金も使いたくないから毎日歩きまくって、それを自慢していた輩が80歳過ぎたころ、膝を痛めてあまり歩けなくなったらしい。人間の身体には限界があるんだなって思ったとお兄さんは言って、続ける。
一日一万歩以上は歩かない方が良い。ここら辺をほっつき回ってつまらなく過ごすよりか、あそこに行ったほうがいい。あそこだと落ち着いて本が読めて、コーヒーも美味しいカフェがいっぱいある。車でここからだったら一時間ぐらいで行けるし、帰りに温泉街に寄って、風呂も入れる。俺、あそこ推しなんだ、と。
お兄さんの話を聴いていたら、行きたくなってきた。なので、行く。やりたいって思って、出来るのであれば、やった方がいい。あんまりこれやりたいって、思うこと少ないもの。
髪切りに行く前は、今日も夕方から酒呑み始めて鬱状態になるんだろうなと、落ち込む予想しかできなかった。僥倖だと言える。たまのドライブは、じっくり音楽を聴けるし良いものだ。
着いた。お兄さんお勧めのカフェに行く。クロワッサンとコーヒーを頼む。期待を超える美味しさに来て良かったと思う。BGMは小音量だし、連れで来ている人達の話し声も気にならない。2時間程、本が読めた。併設されたショッピングモールにも入る。刑務所の服役者が作業場で作ったという小物が、一階中央で売られていた。今年小学校に入学する妹の誕生日が今日だと思い出す。プレゼント用に、猫のイラストがプリントされたポシェットと小銭入れを買う。
晩ご飯で喫茶店に入る。昭和のアイドルポスターや人形、古い仮面ライダーフィギアや江戸川乱歩の文庫本など、グロさとポップさが溢れる昭和レトロの店だった。内観はけばけばしかったが、店内は意外に落ち着いて過ごせた。個人の趣味全開の空間は好きだ。店名が書かれた新聞を、手に取って読んでみる。店主の手書き文章がびっしり印刷されたもので、それは「号外」とある。
店主の家は、祖父の代から時計屋さんを営んでいたそうだ。店主の祖父と父は、県内でも高く評価された時計修理技能士だった。店主も一度、父から時計修理の手ほどきを受けようとしたが、親子で師弟の関係は難しく、店主は反発して止したらしい。その後、昭和レトロ古物を売買する店を始め、父には、買い取った時計や販売した時計の修理をお願いするという関係に落ち着いた。その父が8年前に亡くなった。修理出来る人がいなくなった為、時計を扱わなくなったのだが、店主の時計へのこだわりは、色々とコロナ禍の経営難の中で「自分には何が出来るか?」と考えていく中でぐんぐん出てきたらしい。そして今年の4月、店主は大阪の時計修理技師を養成する学校へ入学するというのだ。店は妻ともう一人の従業員に任せます、と書いてある。
良い文章だった。この号外以外にも、あれば他の新聞も読んでみたいと思ったが、恥ずかしさが勝り、店の人には訊けなかった。また来ればいい。
帰途、公衆浴場で風呂に浸かる。滅茶苦茶お湯が熱かった。グーグルのレビューに「肌がぴりぴりする程熱い」と書いてあったのは、本当だった。湯上り、外のベンチで枝が風に弄られる音を聴きながら涼む。サウナの後のように、気持ち良かった。
僕が読みたいのは、暴力小説だ。文章に作者の血が通っているような、書かれていることに憧れを抱かせてくれる、夢。乱暴に血をたぎらせてくれる強壮剤みたいな文章を僕は読みたい。読んでいる間だけでも最強の気分にさせてくれるものが欲しい。読んで自由だと感じられる自分の感受性にも嬉しくなれるから。その作品が好きだと思える自分が好きだ。酒を呑む自分は嫌い。自慰をする自分は嫌い。外で色んな人に振り回れるのが嫌い。太っていく自分は嫌い。嫌いなことは多すぎる。読んで感動出来る自分は好き、と思える小説をずっと探している。小説でもエッセイでも、面白い文章は素晴らしい鏡なのだ。だから読むのを止められない。
イライラしていても、読むと落ち着ける文章がある。職場の人間が憎くて仕方ない時が、一人作業をしている間に起こる。終わって帰る間も、終わったのだという解放感はなく、帰る前に溜めこんだ憎悪が残っている。コンビニに寄って、缶ビールと炭酸水、スナック菓子を買う。帰宅後、ビールを呑みながら、呑み終わったらハイボールを呑みながら、寝入るまでそれを読むのだ。よく読む作品は、クズな面もある、実際にいたら近付きたくないけどユニークな人物たちが、共にバンド活動を通して生きていく様を描いている。彼らは夢を叶える為に行動していき、挫折し、無気力の手前みたいな生き方になる様も描かれ、この作品のテーマは僕にとって切実だ。成人してもまっとうな社会人生活を送らない人間の、自由さ、不安、挫折も描いている。生まれ変わろうと、急に社会的責任を負おうとするも慣れずに苦しむ様子が痛切で、笑いたきゃ笑え、といった、やけっぱちさもあって面白い。気が弱かったり、友人がいなかったり、恋人がいなかったり、天才じゃなかったり、それで落ち込んでいる自分がいて、結局、憎悪の元というのは自分の不甲斐無さにあるわけであって、この作品はそれを許してくれるように思えるのだ。駄目な自分を文章にして、読んで貰って、自分がこの作品を読んだときに感じた事を感じて欲しい、という欲求で僕はこうして文章をネットに載せている。
この作品内で、意中の女が別の男の一物をしゃぶる場を目撃し、主人公がその場から逃げるシーンがある。主人公は逃げながらゲロを吐く。ゲロを道端に吐いたら、ゲロは自分なので、そんなものをあの男女に見られたくないと思い、衣服の中にゲロを吐く。
ゲロの描写の、僕イコールゲロは、きっとサルトルの『嘔吐』からのアイディアであろう。石があって、それを見つめる僕がいる。石があるから、それを見つめる僕も存在しているのだ、ということを書いた箇所が『嘔吐』にはあった気がする。
実存主義と言えば、石原慎太郎がインタビューで自分を人生の冒険家と称し、実存主義だと言えよう、と答えていた。自分で経験したことに、信の重きを置き、行動していって、それを書く。共感出来なくても面白い、そんな文章を書けるのが彼の魅力だそうだ。
岡山市のあるお店で、一か月間古本を置かせて貰った。今日は本の回収と売上金を受け取りに行った。
シェア型書店というやつで、棚一つ分のスペースを友人と借りて、一緒に出店したのだった。売れたのは、合計12冊で5450円だった。その友人が先月、一日だけ古本のフリーマーケットに出店した時は20冊以上売ったそうで、1万円ぐらいの売上だったというから、今回はそれに比べるとしょぼい。それが催されたのは、近くにバスステーションがあったり、丸善があったり、飲食店も多かったりで、人通りが多い場所だった。比べて、今回は閑散としており、あまり用事のある人がいない場所でのイベントだった。売れないだろう、と予想したのは友人で、彼の言う通りになってしまった。正直、家からここまでの交通費と出店料のほうが高く付いてしまった。
折角、岡山市まで来たから、美味しいものを食べて、銭湯に入ろうと思い、その前に万歩書店に向かった。
県内で一番、古い小説がいっぱい売られている。
石原慎太郎の小説が欲しかった。2階の小説の単行本コーナーで、普通に棚の見出しで「石原慎太郎」があったので、短編集『若い獣』1500円、長編『亀裂』500円を手に取る。石原慎太郎の若い頃の短編が良いと、誰かのブログで読んだので、合致するのに出会えて嬉しい。
1階の文庫本コーナーでは、幻冬舎の石原慎太郎本しかなく、それは後期のエッセイで興味なかった。本当に幻冬舎文庫のコーナーにしかないのか? と店内を見て回っていたら、古いカバーなしの一冊250円均一の角川文庫、新潮文庫の棚があり、背表紙だけじゃ判読しづらいので、あ段の辺りを一冊ずつ抜いて確認していくと、あった。石原慎太郎で、角川文庫版の短編集が2冊、『殺人教室』と『完全な遊戯』だ。既に持っている新潮文庫版の短編集『太陽の季節』と『完全な遊戯』に収録されているものと被る短編があるし、買おうとしている短編集『若い獣』もそうだが、3冊とも買うことにした。一つ二つは被っていない短編があったからだ。
2時間ぐらい本探しをしたので疲れたが、あっという間で楽しかった。石原慎太郎の初期の短編集が3冊も買えたのが本当に嬉しい。
定食屋でアジフライ定食を食べて、銭湯に行く。露天風呂に浸かり、温まった後、寝転べるチェアで裸のまま涼んでいる間が一番気持ちいいのだと知る。武田百合子のエッセイの内容を思い出して、やっぱり武田百合子は良いよなあ、再読したいなあ、とだけ頭の中に漂わせたまま時間が過ぎていく。整う、というのはこれか。身体が渇いて、スマートフォンに緊急の連絡がないか気になりだした辺りで、一度浴場から出て、通知を確認するがなかった。
休憩所の畳の上に座りこみ、ニュース番組で野球のハイライトがやっていたので、それを観ながら、他の客の様子も見る。家族連れ、カップル、友人同士、らがいて、そういや浴場では、みな裸だったので、恐そうな人、というのがいなかったと思い出す。皆、裸になれば同じような人間に見えて、安心感があった。休憩所でも、ほとんどの人がジャージやスウェット姿で、アイスを食べたり飲み物を呑んだりしながら談笑している。男の子たちを叱る男女がいたり、なんだか実家の居間にいる気分になった。のぼせたみたいで、休憩所でも帰りの車内でも少し頭がくらくらした。帰途、コンビニで炭酸水を買って、呑みながら運転した。
仕事へ行く前に、石原慎太郎の『鱶女』を読んだら元気が出た。17歳の青年一歩手前の少年が、美しい少女と出会い、タイトル通りその子は鱶、鮫なのだが、彼は知らずにただ変わった女だと最初は思い、今まで知らなかった恋や後悔の味を味わっていく。怪異とラブストーリー、と言うだけで片付けられない。海と太陽の描写、エキセントリックな鮫女の描き方には憧れを覚える。自分もここに描かれている海を見たい、鮫女が実在して欲しい、と思った。小説を読む原初的な喜びを思い出す。こんな小説を書いてみたいと夢見ている間はウキウキだ。石原慎太郎の他の作品も読みたいと急いてしまう。
職場で「何か良いことあったの?」と訊かれた。どう答えようか少し尻込みしたが「良い本を読んだからです」と正直に伝えた。今日は朝から機嫌が、自分でも思う程良かった。
酒を呑まずに寝ると、途中で目が覚めてしまうし、嫌な夢を見る気がする。
上司に滅茶苦茶怒られる悪夢で目が覚めた。僕のミスを明らかにする為に、上司と一緒に見に行くのだが、ずっと辿りつかず、横でずっと怒られ続けるというカフカの『城』を起きて真っ先に思い浮かべた夢だった。明日か2年後かは分からないが、いつかそれは起こりそうで、きっとその時が来たらデジャブを感じるのだろう。
明晰夢というのがあるらしく、昔いた職場にそれを見れるという女性がいた。2、3年の間、見た夢をノートに記録し続けているうちに見れるようになったのだとか。夢だと気付き、空を飛んだり出来るんだと教えてくれた。羨ましくて自分も夢日記をつけ出したが続かなかった。読み返しても面白くないのだ。だけど、その女性の夢の内容は面白かった。職場の人が全身黒タイツ姿で、頭に野菜の被り物をして、電車ごっこをしていたそうだ。起きてすぐに描いたというその夢の絵を見せてくれた。同じ職場の人達が、トマトやナス、キャベツやピーマンの被り物を頭にすっぽり被っている。その人達が一列になって、ぐるりと回したロープをおのおの持った絵だった。この女性は、ぶっ飛んでるなと思った。だから好きだった。
武田百合子の夢のことを書いた文章も良い。僕は特に『かまぼこ』という文章が好きで、内田百閒のショートショートっぽいのだが、あれよりも陰気じゃなく、武田百合子なので清々しい読後感だ。
この二人の女性には、見る夢の内容にも憧れる。
4月
今、住んでいる所にはカメムシが沢山いる。嫌になるほどいる。職場の人の家なんか、100匹以上カメムシがいたそうだ。ガムテープで押さえて、取って、閉じれば、臭いを出される前に始末出来る。その人は取りながら70匹を数えた当たりで止めたらしい。
ペットボトルを使って取る方法もあるが、それはオススメしない。ペットボトルの口を止まっているカメムシに当てると、中に落ちるのでフタをすれば臭いは漏れないが、元気な奴は落ちずに羽ばたく。ビックリするので、やっぱり取り方としてはガムテープに引っ付けるのが良いと思う。カメムシは殺虫剤を噴射しても死なないし、家の中に入るのを防ぐことも出来ない。郵便物の束を持って上がり、いるのといらないので分けていたら5匹以上、カメムシが郵便物にくっついていた時は心臓がぐっと圧迫されて、息がつまった。
一番恐いのは噛まれることだ。洗濯物を外で干していると、よくカメムシが付いている。一度、くつ下の中に入っていて、気付かずに履くと枯れ葉を踏んだような感触がし、手で取り出すと生きたカメムシだった。もちろんくつ下は臭いにやられ、もう一度洗濯することになった。
これがもし、パンツの中だったら。
カメムシは噛むらしい。それで局部を噛まれたら、腫れあがり、とっても痛いのだそうだ。病院に行かなければいけないそうだ。それの予防としては、洗濯物を取り込むときは裏返しにして、カメムシが潜んでないかを一枚一枚確認していくしかない。一度取り込んでしまったものでも、身に付ける時はもう一度確認をする。疑心暗鬼に陥ってしまう。
前住んでいたところは、そんなに出なかった。転勤でここにやってきてからだ。木材で有名なところだから、木を食べるカメムシが大量発生するのは当然なのかもしれないが、この辺はまだ、カメムシは引っついて過ごしており、刺激を与えなければおとなしいのだが、兵庫の城崎に行った人が言うには、外をぶんぶん飛んでいるらしい。恐すぎる。
冬は雪が降るからスタットレスタイヤを買わないといけなかったし、車移動が増えたからガソリン代は嵩むし、前に住んでいたところと比べたら金がかかる。そしてカメムシの多さ。転勤を選んだことを後悔する。しかし、楽しい事もあるには、ある。前行った温泉街は楽しかった。海鮮丼や寿司も、あそこは旨かった。まだ未体験だが、沢山ソープもあるそうだ。雪が降っている時に行った山は、一面雪景色のところがあって、あまりの白さに目が痛む気がした。家から車で30分ほどの山だが、まるで遠いところにやってきたようで、楽しかった。
シャンプーか柔軟剤か、何の匂いかは分からないが、職場に若い女の子のアルバイトがおって、近くにいると良い匂いがする。隣で作業をしていて、僕はその子に何を喋って良いか分からないから、無言のまま、匂いを嗅ぎながらその子が隣にいることを意識する。気まずいので、長く隣で作業は出来ない。
昨日、その子が突然休んだ。出勤15分前に電話してきて、僕はその時図書館におって、本を読んでいた。すぐに職場へ行き、次のシフトの人が来るまで店番した。僕は彼女が非常識だと思い、今日会った時は何て言おう、と悩んでいざ向かい合ったら、強く言えなかった。
「玄関を出る前に突然立ちくらみがして」
「じゃあ、昨日は来るつもりではいたんだ?」
「はい」
「それじゃあ、気を付けろって言っても難しいね……」
と、こんな体たらくだ。昔、同じくシフト通りに出てこない若い男がいて、シフトを減らして、辞めさせた。二人のやっていることは同じだけど、彼女に対してその男と同じ処置をするのは抵抗感がある。男の時もそれはあったが、比べると女の方が強い。普段、無愛想な子だが、今日だけ罪悪感からか、素直にみえた。入荷した商品を検品していて、来るはずのものが無いと言ってきたので確認すると、彼女の勘違いでちゃんとあったので言うと、「良かった~」と本当に心から安心したような声を出した。それで僕は彼女への怒りを失くしてしまい、許し、しまいにはエロい想像までした。そんなことまで考えさせるから、男に対してより甘くなってしまうのはしょうがない。早く女をつくって、欲求不満から開放されて、男も女も関係なく、従業員に対しては接したいものだ。
職場で僕がいかに仕事が出来ていないかを30分ほど言われ、自信を失くした今晩は、帰ってすぐに酒を呑みだした。Youtubeで動画をずっと視た。5時間以上、最初はラム酒を呑んでいたが無くなったので、冷凍庫に入れていたテキーラを呑みながら、山本裕典がホストに挑戦する動画を延々と視てた。4時ぐらいになって、そのまま炬燵に入ったまま眠った。久しぶりの自棄酒で、最近はいかにストレスない生活だったのか、Youtubeにかじりつくしか出来なくなって思う。何もしたくない。今日が休みで良かった。
5月
憂鬱な時は、憂鬱な音楽を聴くと癒される。トム・ヨークの音楽が良い。
あそこへ行って、古本屋に行った。大きな池の前にその店はあって、風が強く、波が海のように打ち寄せるのを見て、解放感があった。海を見るとおおらかになると聞いたことがあって、海だけを見に行くのもありだなと思う。色んなジャンルの、新品と中古の本があって、小説の棚は3個あった。ル・クレジオの小説が三冊あり、一冊買った。イギリスの小説家の気になる作品もあったが、思い出せない。下品な作品っぽくて、自分が好きそうな小説だったから、思い出したいのだが、分からない。夢精したけど放っておいたらパンツの中が渇いて気持ち悪いっていう文章があったことと、イギリスの作家であることと、男性の作家であることしか憶えていない。小説より文化人類学の本が多かった。今福龍太や山口昌男の本などが、あった。
腹が減ったので、回転ずし屋に行ったのだが、5月7日は全店休みだという張り紙がしてあった。前から行こう行こう思っていたのに残念だった。カフェに行って、バニラアイスがのっかったフレンチトーストを食べる。次もカフェに行く。読書をする。
行きたいところはもうなかったので、前とは別の公衆浴場へ行き、風呂に入った。入浴料は200円で、浴場には浴槽が一つしかなく、身体や頭を洗うシャワーがなかった。桶で浴槽のお湯を浴びて、浸かる。湯は熱めで、すぐにのぼせてくる。10分ぐらいで出た。食事がしたくて、通りがかった店に入ったのだが、食事はないと言われる。車に戻って、どこか別の店を探していると、店の人が外に出て来て、「焼そばかうどんなら出来るよ。この時間じゃ、ここら辺どこも食べるところないよ」と言ってくれたので、焼そばを食べる事にした。店内は居酒屋で、お酒は沢山ある。一人だけ客がおり、酒を呑んでる。先客が「どこから来たん?」と話しかけてきたので、話していると「ビールでも一杯どう?」と勧められる。車で来てるので、と断ったが、その人も山から来てると言っていたので、車で来てるはずだが、呑んでるみたいだった。焼きそばとみそ汁を頂く。600円。素泊まりして呑んだら良い、と先客に言われて、魅力的な提案だと思ったが、宿まで車はどうするかと訊いたら代行を頼んだら良いというので、さすがにそれはお金がもったいなくて断った。
遠出したけど、気が晴れず、仕事のことを考えて憂鬱になる。
休みだったが、従業員が「苦しいから早く帰らせて欲しい」と連絡してきたので、代わりに出た。17時まで店番をする。
昨日、寿司屋で寿司が食べられなかったので、近くの回転ずしに行く。その後、図書館に行き、小説を借りた。
行ったことない公衆浴場が、図書館から車で13分程だったので行く。入浴料250円。昨日行った公衆浴場と同じで、一つの浴槽しかなく、あとは水道が付いているだけで、シャワーはない。温度はぬるいから長く浸かれる。浴槽の真ん中に竹筒が刺さっており、その先からお湯が流れている。口を近づけて呑む人がいて、ごくごくと音を鳴らし「うまい」と言って、ぽんっとゲップをする。それを3回ぐらい繰り返していた。
帰り道に酒屋へ寄り、ズブロッカとトニックウォーターを買って、帰宅後、混ぜて呑む。
窓を拭き、部屋の中を片づけた。二つの部屋の窓を開けて、襖も開けて風通しを良くするととても涼しい。どこかカフェに行って読書をしようかと思っていたが、充分、今の自分の部屋でも居心地が良かった。買物に行く以外は家で過ごす。料理を作っている夕方、天気が良くて気持ちいいから、ハイボールを呑みだし、食事後に風呂掃除をして入浴する。風呂場の外にスピーカーを置き、音楽を流しながら湯船に浸かったのだが、熱めのお湯にすぐのぼせる。準備したけど、2曲も聴けないまま風呂から出て、裸のままベランダに出て椅子に座って涼む。休日だったが、遠出せず、ほぼ家の中にいたけど気分は落ち込まなかった。いつも休みになったら、気分を上げる為に遠出して、カフェに行って、銭湯に行ってお金を使うのだが。時間をかけて掃除すれば、外で金を使わなくても、家で楽しい。
丸山健二『自選短編集』を読み進める。『バス停』と『夜釣り』が、今の自分はいかにして現実と闘い、満たされているかを書きまくっていて、今日の自分の充実さと重なり、読んでて、そうだそうだ、と同調出来て良かった。
職場のバイトの男の子に誘われた。
「今度、カラオケ一緒に行きませんか?」
誘われて嬉しかった。
仕事から帰った後、酒を呑んでしまう。今日はスーパーでラム酒を見つけたので買った。バカルディゴールドだ。
小説を読む以外で、気晴らしになるのは飲酒になる。カクテルの作り方でも覚えようかな。
一人でハメを外すってなると、酒か自慰か買物だ。空しくなってしまう。わくわくすることがないのだ。図書館で気になる小説を予約して、受け取ってから読むまでが最近一番わくわくした。読み切るまえに、既に関心は薄れてしまったけど。腰をすえて一冊を最初から最後まで読むってのが、出来なくなっている。
ブログを始めて、何でもいい、カス文章を挙げて、いいねを貰えれば、それが楽しみになって、わくわくするようになるだろう。
ということで、僕はブログを始めた。
仕事の時以外は、酒呑んだり、温泉に行ったり、小説を読んだりする。それにこのブログが加わった。
パッとしない男というのは、もう人生に敗れている。アメリカでいうところのルーザーだ。慰めてくれるのはポルノと酒、女性歌手と本であり、生身のおきゃんな娘じゃない。今の仕事も続くか分かんないし、バイトして暮らしたいと思っているので、人生のパートナーを見つけるなんて一生無理。自分より劣っていると思える人にしか、僕は自分から声をかけたりしないだろう。そんな人は外に出ないから、知り合うことがない。
休みだったのだけど、したいことがなく、夕方から酒を呑み始めた。
ウォッカにアップルジュースを混ぜて呑んでいたら、気分がやっと上がってきたのだった。
そう言えば、あるエロゲをしたいと前から思っていた。Youtubeでプレイ動画を視ていると、キャラクターどうしの掛け合いが、面白そうで……。アダルトショップに寄る度、そのゲームがあるかどうか見ていた。中古で四、五千円で、もうちょっと安ければ……と思っていたのと、エロゲをする時間があったら、もっと有意義なことに時間を使いたいとも思い、今まで手を出さなかった。
そのゲームはアプリで購入して、スマートフォンで始めた。ちょっとでもやりたいと思ったのなら、やったほうが良いと思って。酒を呑んだり自慰したりするよりかは、有意義でしょうよ。
小説は、読んでは放り投げ、別のに手を出してはすぐに放り投げ、を繰り返していたのだが、ソログープの小説『小悪魔』だけは最後まで読んだ。
主人公が嫌な奴で、学校の先生なのだが、生徒が親に鞭打ちされるのを見るのが気晴らしで、夜な夜な家庭訪問をし、親御さんに嘘を吹き込み、目の前で折檻させる。私生活ではギャンブルをして酒ばかり呑み、上のポストに就きたくて当てになりそうな相手と結婚するのだが、いつまで経っても昇進できず、周りの同僚や友人の陰謀だと思い込み、被害妄想を強くしていく。ひどくなっていく奇行に、周りからは馬鹿にされ出して、読んでいるこちらは主人公を嫌いになっていく。主人公の告げ口のせいで虐待される生徒たちが可哀想で、こいつ何やってんだよ、と思うのだ。デカダンス、らしい作風だけど、享楽的な部分はなく、ただただ暗く、こんな嫌な奴にはなりたくないとしか思えない。創作、というのはヒーローを産み出すのではないのか? 生き方のお手本、読者が憧れる主人公、を登場させるのではないのか? よく、こんな、そうではない小説があるもんだと、逆に作者に憧れたわ。怠惰で、将来に希望のない生活を送る登場人物が出る小説なら、今の自分でも読めると気付いた。西村賢太の作品とはちょっと違う。あれに出て来る北町貫太は、正に憧れを覚えるデカダンスの生き方で、共感出来ないが、すごい、面白い、と思わせる人物なのだが、ソログープのはそうじゃなくて、今の自分よりも酷い無気力人間、人生おもんなさそうで、死にたいとは思わないけどダラダラと寝て仕事して生きている人間だ。そんな奴が出て来る小説をもっと読みたい。
社員の応募があった。上司から面接してと頼まれて、もしかしたら僕は転勤になるかもと、生活が変わるかもと、わくわくした。
今のお店、社員は僕一人だけで、もし別の社員が入るなら僕はいらない。もしかしたら、最近出来た広島市の新店に自分は行けるかもしれない。そう考えたのだが、そうじゃなかったみたい。広島の新店は、もう落ち着いているから別に人手はいらないそうで、ゆくゆくまた新しい店が出来たときに僕が行けるよう、今のうちからゆっくり教えていく為に求人を出していたそうだ。
今のお店で働くことにそろそろ飽きているので、転勤だったら良かったなあ、と残念な気持ちと、変わらないことに安堵する気持ちもある。
応募してきた人は、僕と同い年の27歳女性だ。若い女性が、社員になりたいような会社じゃないのだが。仕事は、パチンコ屋の食堂とコンビニの店舗運営だ。僕は、もうどこの会社の正社員もしたくないと思っていた時に、アルバイトで働いていて、楽そうだったのと、社員にならないかと誘われたのとで、頷き、転勤して今のお店で働いている。もう働けるならどこでもいいやと思って働いており、今のところは人手が潤っており、暇だから楽っちゃ楽で、それなのに給料は充分あるから続けられている。
6月
西村賢太『寒灯・腐泥の果実』を読んだ。
ある書店に行った時、新品でこの文庫版があり、Amazonで高騰していたのを覚えていたので買った。他にも黒田夏子『abさんご・感受体のおどり』の文庫版や舞城王太郎『ディスコ探偵水曜日』全巻も新品であり、同じ理由で買った。
そこの書店は色の薄くなった岩波文庫も沢山置いてあり、ゴンチャロフ『断崖』全巻とサルトル『自由への道』全巻も新品で売っていた。何十年も売れ残っているのだろう。意外な小説があるかもしれないとワクワクし、買物するのが楽しかった。
たまに西村賢太の小説を読むのも、いいものだ。寝る前にちょっと読んでみようと手に取ったら、最後まで読んだ。恋人と同棲し始めてからの話を集めた短編集で、羨ましいと思ったし、語り手も嬉しそうなことが伝わってくる。モテない男が女性と同棲するという幸せそうな雰囲気を表現しておいて、必ずぶち壊す展開になるから、良い塩梅だ。彼女との口論が面白くて、緊張感がある。『肩先に花の香りを残す人』という短編が良かった。安ものの男性整髪料の臭いでケンカとなり、その臭いが嫌いな主人公に向かって彼女が、父親が付けていたから好きだと言うのに対して、お前の父親はイガグリ頭じゃねえかと主人公が言い返すと、お父さんは昔は髪を伸ばしていたと彼女が抗弁する。お父さんと昔、銭湯に行くのが楽しくて、入浴後につける整髪料の匂いが花の香りがすると彼女が言うと、主人公は、男湯に娘を連れ込む父親が理解出来ない、昔自分が男湯に入っている時に姉妹を一緒に連れた父親が入ってきたことがある。姉の方は胸が膨らんでいたから、他の男客が必死に盗み見ていて、ロリ天国になっていた、と言う。ロリ天国って……。
朝、警察署から電話がかかって来て、僕の母親の名前を告げ、探していると言った。
母親が何かしたのかと思ったが、そうではなく、母親の兄が亡くなって、身体の引き渡しを、お願い出来る人を探しているのだった。
あなたからしたら、おじに当たりますよね? と言われた。
おじは、家族の者と没交渉で、僕も15年以上会っていなかった。祖母が亡くなった時、遺産のことで揉めて以来、母親も連絡を取っていないようだった。関わりたくないから、私は何もいりませんと母親は言っていた。母親が祖母の家に行った時、おじは「何を獲りにきたんな!」と物を投げて追い返したらしい。祖母が生きている間は働いていなかったようで、祖母の死後、どこかで働いているやら精神病院に入ったやら不安定そうな様子を噂できいていた。
そのおじが死んだ。警察には、母親に電話してみますと告げて、電話を切った。母親に電話したら、驚いて、親に電話すると言って、警察署の電話番号と担当者の名前を教えて、僕のやることは終わった。
たぶん、おじは今年で47歳になるはずで、若くして死んだことになる。良い死に方ではなかっただろう。
西村賢太『羅針盤は壊れても』を読んだ。
北町貫太の、小説をどういう風に読んでいるかという話が好きで、この作品では田中英光の私小説への思いの丈が、読んでいて小説好きとしては嬉しくなることを書いてくれている。貫太が恋人と口論するのを読むのも面白いけど、彼の、読書遍歴や書店巡りの模様を読むのも、小説を集めている楽しさを思い出させてくれて、良い。
一人の作家に固執してしまうのは身に覚えのある話で、この人の文章を読む以上の娯楽はないと思えてしまう作家は、僕にもいて、少しでも作者の人生に自分の生き方を近付けたいと思うのは、どうしようも出来ない。自分像を憧れの作家の像と常に比べて、共通点を増やすことに生き甲斐を求めようとするのだが、年齢を重ねていくにつれ、どんどんと、憧れの作家が偉業を成し遂げた年齢を越していき、取り返しのつかない差を痛感するに到っていき、自分には過ぎたことのように思えだす。好きだった作家にも自分にも幻滅している時というのは、大切なものを失くした虚脱感に浸るばかりで、マイナスをプラスにする心意気も湧かず、酒を呑むかYoutubeで動画を視るかして、ただただ時間が過ぎて、仕事に迫られるのを待つだけとなってしまう。やりたくない仕事が、何とか自分を持ち崩さない唯一の綱となり、生活出来てるっちゃ出来てるけど、望んでいなかった自分像に、自分で評価を下したくないので、とりあえず散財して、遠出して、考えることを遠ざける。自分が、本当は何をしたいのか、と問うのは恐ろしい。ないわけは、ないのだ。過去、何度も出した答えに応じようと奮い立たせてきたが、途中で全部投げてしまう自分を、僕はもう考えたくない程、無視したい程、迷惑に思っている。
だらだらと自分がいかに駄目人間かの愚痴が、西村賢太の良い私小説を読んだ感動になるのだから、自分を駄目だと思えば思う程、西村賢太の私小説は面白く読める。あと、小説が好きな程、北町貫太の度を越した小説収集ぶりに脱帽して、敬意と親近感を覚える
西村賢太『どうで死ぬ身の一踊り』を読んだ。西村賢太の小説は、毎回文体が同じだし内容も似ているので、酒を呑みながら読める。一年間同棲した秋恵との破綻寸前までいくエピソード、崇拝する藤澤清造への思い、書店巡り、職場で知り合った人間との仲良くなってから別れるまでの後味の悪いいざこざ、などどの短編もパターンが似ている。中編や長編になっても、それらお馴染みの彼らしいエピソードを繋ぎ合せているので、あまり変わらない。どの作品も結句、北町貫太の話なので、彼がこの作品では何をやらかしたのかを、酒の席で親しい人間から近況を聞くかのように読める。
酒の肴だ。田中英光や藤澤清造の話をする時、読むのも資料を集めるのも人生をかけての徹底ぶりに、自分も好きな作家はいるけどそこまでは出来ないと胸が熱くなるし、恋人に酷い言動をしてしまう自己分析には、我が身にも心当たりがあって他人事ではないと痛感させられるし、モテない、自分は生きている価値がないという過去と未来への後悔と不安ばかりの現在は自分も日々感じているから首肯するしかない。どの作品を読んでも、同じ読後感で、たまにあまりに主人公が他人に対して酷過ぎることをした話は、読んでいる間は不愉快になるが、そんな作品ほどぐいぐい引っ張ってくるから読み終わった後は凄いと称賛している。
やっぱり読みたい人は多くいて、僕が住む田舎の図書館にも西村賢太の作品は大分揃っている。棚に並んでいる同一作家の作品数だと一番かもしれず、村上春樹のより多い。
そう言えば、その図書館で今日読書会があった。正岡子規『仰臥漫録』を読んだ感想を言い合う会で、正岡子規のこの日記も赤裸々で、私小説を読んでいる気になった。病状が悪いと号泣絶叫とか書いているし、便が出た報告もしているし、鼻毛つむとか、鼻くそを取ったら鼻血が出たとか、看護してくれている妹への不満とか、生活の実感をそのまま書いているように感じる。参加者の一人が言った「病に臥せった人間の日記だけど、文章が明るいから読める」という意見に、なるほどと思った。やっぱり優れた私小説家も随筆家も、辛いことや気持ちが暗くなることを書いても読めるのは、人を惹き付ける生命力があるからだ。これは技術とか考え方とかではなく、持って生まれた「そうせざるをえない、ならざるをえない」もので、才能だ。凡人である僕は、彼らの名文を読んで、生き抜く為に感動して、これからも暮らしていこうと思う。
佐伯一麦の小説を読み進めていっている。
働いて、家族を養って、仕事仲間と酒を呑んで、と労働する描写は明るい生命力が感じられるのに、家に帰ると家族に冷たくされる描写は読んでいて辛く、主人公を応援したくなる。
主人公に対して、天才でも異常者でもなく、普通の男だと感じる。働いて、恋をして、養うべき家族がいて、必死に生きていることを、ただ書いている。偏差値が七十八(調べたら分かった)の仙台の進学校を、ガールフレンドが出産したから中退したとか、その子供は自分の子供じゃないとか、三か月間一緒にその母子と暮らしたが別れることになったとか、その後上京して電気工する傍ら小説を書いてデビューしたとか、尋常ではないところもあって、私小説として面白いのは、やっぱりそういう他の人とは違う部分もあるからだろうが、かけ離れた存在とは思えない。
文章から、作者の誠実さが伝わってくる。自分の実感を盛り込んで文章を練ろう、という大切なことをしてくれている。佐伯一麦の実感が、気持ちの良い風のようにスーっと入ってくる。
その人の感じたことを言葉にしたものが、正しいと、心地良いと感じられれば、その人の話をずっと聴き続けたいと思える。文章もそうで、退屈で何をするのも面倒臭いときは、なおさら素直に良いと思えるものに触れて、息を吹き返したい。
だから、今は佐伯一麦の小説を読んでいる。
佐伯一麦『遠き山に日は落ちて』を読み進める。
妻と離婚し、新しいパートナーとの田舎暮らしが、ほのぼのと描かれている。前妻のことは、『木の一族』『渡良瀬』で結婚生活が書かれており、気まずい、報われない共同生活を読んで、知っていた。前妻が「子供や私のことを小説に書かないで」と言っても、私小説家である主人公は障害を持ってしまった子供のことや奥さんの人間性を書き、「これは普通の生活で自分はそれを書き続けたい」と書くのを止めない。私小説家としては、それだから心打つ作品を書けるのだろうが、妻が書かないでと言っているのに書き続けて関係をこじらせてしまうのは、夫しては、父親としては、良くない業を背負っているなと思う。だから、前妻には子供たちと自分との寝室には立入禁止にさせられ、たまに帰って来ても邪険に扱われ、遂には離婚届を突き付けられ、新築をローン組んで買わされて、離婚後も養育費とローンの支払いに追われてしまう。いや、私小説家じゃなくても、こんな運命を背押された男性はたくさんいて、自分にも原因があるとはいえ、佐伯一麦の小説を読んでいると、しみじみとそうした男性たちの苦労に物悲しさを覚えて切なくなる。胸がキュッと締め付けられるこの切なさは、恋に似ている。だから、もっと佐伯一麦の小説を読んで、主人公のことを知りたいと思わせる。今回の新しいパートナーとは、とても上手くやっているようにみえた。
岡山のイオンへ服を買いに行った。インドカレー屋でランチを食べて、ビールを呑んだ。
本屋にも行って、開高建訳のジョージ・オーウェル『動物農場』を探すが、見つからず。来月の読書会の課題図書がその作品で、決めた人が開高建を好きだと言うのでその訳で読みたいのだが、本屋には別の訳者のしかなかった。取寄せてもらうしかない。
夕方はジムに行って運動をした。帰宅後、佐伯一麦『草の輝き』を読み始める。
月が皓々と輝いている。ハイボールを呑んで酔っていたので、外に出て、少し散歩する。
寝る前に読んで、興奮して眠れなくなる小説と出会うのは偶然だ。ふと、ほこりを被っている佐藤友哉の『灰色のダイエットコカコーラ』を読み出したら、最近の自分が求めていた小説はこれだったのかと目から鱗が落ちる思いだった。
何年も前から本棚にあって、たまにページを開けど読みたいと思わなかったのに、昨晩は自分の頭の中とこの作品の書いてあることが合致したのであった。このままじゃいけない、抜けださないと、という焦燥感である。
主人公は、普通の人間を肉のカタマリと揶揄し、自分はそうなりたくないと焦っている。その打開策で挙げられるのは、現状からの脱却で、具体的に何がしたいのかとかは特にない。何も実行出来ず、実家暮らしのフリーターのまま、祖父ちゃんみたいな覇王になれないことを良くないことと思っている。祖父ちゃんは町の建築業界を牛耳る人間で、金持ちで、身内からも恐れられていた。かつての親友は、主人公同様、普通から抜けだしたいが駄目だったということで自殺した。覇王になれない、自殺さえ出来ない、そんな自分に不甲斐なさを感じる主人公に共感したって、しんどいのだが、仕事で気力がなくなりつつある今の自分には、とても身近な存在に感じられた
今、僕は仕事を辞めようと思えば、辞めやすい時期に入っている。一日に何度も、辞めるんだったら今の時期だと考えてしまう。
新しい社員が入ってきて、その人が続けば、僕は余所に転勤となるのだが、それを辞退するるという手がある。新しい社員さんには頑張って貰って、僕はやることがなくなって辞める。一年半前の、今のところに転勤する前も同じことを考えていた。その時は、逃げるわけにはいかないと思っていたが、今回は、もういいんじゃないかと思うのは、転勤せんかったら良かったと思っているからだ。
田舎に飛ばされた。一から新しい人間関係を築かねばならず、土日祝は休みが取れないサービス業だから基本休みは一人で過ごす。職場の人間関係が気になって、休みでも気が塞いでしまうことが多く、とりあえず遠出して金を使ってばかりだ。働いているだけマシだと思うことだけが、現状の自分を慰めるのだが、それ以上何かをしよう、という気力が湧かない。
佐藤友哉の小説を読むと、自分への愚痴が止まらなくなる。主人公の親友が言うところの、怒りを感じる。だからって、別に何かが変わるわけではなく、今は束の間、スッキリとした心地だ。
7月
僕は小さな店で店長をしている。従業員が五人の、小さな食堂である。
僕以外だと、四〇代の人が二人で、あと三人は六〇代を超えている。あと、従業員四人は女性である。
決断力がなく、メンタルも弱い為、なめられている。そして、おばちゃん達も一致団結しているかと思えば、もうあの人と一緒にシフト入りたくないと言われることもしばしばで、気持ちは分かるが面倒臭い。
あるおばちゃんに別のおばちゃんが、シフトのこととか仕事のこととか愚痴を言ってた。言われた方は、そんなこと店長である僕に言う事で、私に言う事じゃないと怒り、ストレスが溜まり、僕にその人へ注意して欲しいと頼んできた。そんで当人を呼び出して、そのことを伝えると、別に店長へ言う程のことでもないことをあの人には話していただけで、言わないといけんことは直接店長には言っている。そんなことを言われると私はこれからあの人とどう接していけば良いか分からないと言われ、まあそうなるよなあと、解決せんかった。言われる方には、聞き流せば良いと前は言っていたのだけど、無理らしく、体調を崩しては休んでしまうから言ってしまったが、二人を一緒のシフトに入れれないとシフトが作り難くなる。自分の首を締める行為だったかもしれん。
これを別のおばちゃんが、愚痴とか色々言ってた方に、あんたの片思いなんだからあんまり関わってやるな、と忠告したらしく、それは面白かったが。
店長といっても、雇われている身で、調理経験も今の仕事を始めるまでは無いに等しく、一人でたまに家で肉か魚を焼くぐらいだった。
調理自体は、冷凍の揚物をフライヤーで揚げたり、冷凍麺を湯がいて水で割るスープに入れたり、冷凍肉をチンして焼いてご飯に載せたりと、簡単だから大丈夫だった。
やることは楽なのだが、暇な時間が多い為、シフトで被った人と話さざるを得ず、人間関係のトラブルが起こる。僕は忙しい時だけ、手伝いに入るだけで良いから逃げれるが、パートの女性たちは勤務中、厨房から離れられないから、気まずくて息が詰まりそうになることもあるだろう。
悩んで、仕事以外の時間も憂鬱になってしまうと、なんでこんな仕事をしているんだろうと思う。続けたって、ずっと簡単な調理をし続けて、おばちゃんたちに振り回されるだけだ。そんなキャリア、いるか? キャリアとも呼べん。正社員だろうが、お先は別に明るくない。知り合いで自営業をしている人がキラキラして見える。仕事も趣味みたいなもんだからと言って、ほぼ毎日働いて、収入は少なそうだけど、仕事へのストレスが少ない分、別に気晴らしでお金を浪費することもないから平気だそうだ。自分の生き方を恥じず、充実して生活しているように見える。生きることに対して、とても前向きだ。僕なんて、早く死にたいばかり考えるから、自分一人で何かをしようなんて活力が湧かない。
独立してまでやりたいことなんてないから、やるべきことをくれて給料も貰える分、有難いと思わんといけん。
休日で、家にいるのも辛いし、やることもないから、ジムで運動して、カフェに行って小説を読んだ。
ブックオフに行って、文庫では既に持っているけどつい子供向けの新書サイズ版『銀河鉄道の夜』を買ってしまう。宝石の国の市川春子の絵がカバーで惹きつけられた。
そのまま夜はドライブした。二十時前の、空がまだ黒色になりきらず、遠くの物の輪郭がまだ分かる黄昏時、住宅街になっている丘をぐんぐん上っていき、いくつもの四角い明かりを見渡していたら、胸がつまって泣きそうになった。小説を読んで孤独な人間の寂寥感を味わっている時と似た気持ちで、小説を読まなくたって、孤独感はどこにでもあるなと思った。食事処に入って、ホルモンうどんを食べて帰る。隣で一人、鉄板の上の料理をつつきながら生ビールを呑んでいるおじさんがいて、勝手に仲間意識を持ってしまい、俺も車じゃなかったら隣でビール呑みたかったなと思った。帰宅後、呑む。
冷凍庫に入れたサウザシルバーは夏の飲み物だ。
ショットグラスに注いだら、スッと呑み干せてしまう。なので、必ずと言っていいほどめちゃくちゃ酔う。寝酒に、と思っていたら、から元気が湧いてきて、音楽を聴いて踊りだす。今日は腹の調子が悪く、何度もトイレに行った。
嫌な事を考えないようにする為に酒を呑むのは良くないと思いつつ、じゃあ、それ以外で一人で呑むことなんてあるか? ないだろう。一人で酒を呑むことを知ったら、いつしか憂鬱を吹き飛ばす方法になっている。明日なんて来ない、と呑んでいる間はふっきれているが、いつの間にか寝ていて、ちゃんと明日には目覚めるのである。そして、ちゃんと仕事には行くのである。行きたくない行きたくないと思っても、時間が来たらちゃんと行って仕事モードになれるんだから、大したもんだと自分を褒めてあげたい。
今日はフォアローゼズを買った。好きなもの、酒とブックオフとカフェ。
昨日はあそこへ行った。あそこには、大きな池が店内から見渡せるカフェがあったり、古本屋があったり、いつ開いているか分からない銭湯があったりする。
ブログを始めてから、面白い日記書きを見つけた。てきちゃん漂流日記というタイトルで日記を挙げられている。もっと読みたいと思ったら、同じタイトルで本を出していた。表紙を見た時、これ、あそこの古本屋で見たことあるかも、と思った。ZINEのコーナーがあるから、あるかもしれない。前にXのアカウントを持っている時に、やり取りしたことのあるアカウント名が載ったZINEを見つけたこともある。その人の文章が載ってあり、こんなものがあるなんて、とビックリした。あの店ならある気がする、という気持ちで、まずは古本屋へ。
あった。他にも安部公房の文庫本を二冊一緒に買う。
気持ちが塞いでいる時、大きな池を見に行きたくなる。海みたいな池だ。カフェの店内から、コーヒーを呑みながら、小説を読みながら、時たま目線を上げて窓から池の揺れる水面を眺めていると、落ち着いてくる。急に職場から電話がかかってきて、気持ちがざわついても、水面を見れば、変わっていく多面体に目線が吸いこまれて、頭の中がそれで一杯になる。
気になっている銭湯だが、三回行って、一度も開いてたことがない。熱い湯らしく、ぬるいと物足りないと思ってしまう僕は、いつか入りたいと、知った時から思っている。三度目の正直も駄目だったので、そろそろ開いていて欲しかった。
開いていた。熱くて、十分ほど浸かったらもう良かった。近くのコンビニで三ツ矢サイダーを買って、呑みながら車に戻った。
食堂で焼肉定食を食べて、帰った。望みが全部、叶っちゃったな
8月
初めてコロナに罹った。口内炎が、初めて三つ出来て、それだけで飲食が困難になった。
中上健次の蛇淫で読書会をした。
初めて、友人の引っ越しの手伝い、というイベントを経験した。
9月
ビールが美味しくて、仕事終わりも休日も呑んでしまう。キリンのグリーンラベルが糖質70パーセントオフだとかでカロリーが普通のビールの半分以下にもかかわらず、旨い。あっさり味のビールとして呑んでいる。個人でやっている居酒屋に行っても、酎ハイやハイボールの炭酸が弱かったり味が薄かったりした時、ビールを頼めば間違いがないので、外でもビールをよく呑む。温泉に入った後の休憩所で過ごす時間と居酒屋で旨い料理を食べながら呑む時間が、独り身に残された休日の潰し方だ。
本当は風俗店に行ってみたい。あそこには2万5千円で素股してくれる店があるらしい。就寝前や起き上がれない朝、まぶたの裏に乳房が貼り付いて剥がれないことがある。そういう時、風俗店に行ってみたいと思う。明日お前は死ぬと言われたら金に糸目をつけず行けると思うのだが、一人だとちょっと。
一緒に行ってくれる兄貴分がいればいいのだが、職場にそんな人はいない。父親に風俗の話をしたら「お父さんは若い頃、そんなのに金使わなくてもいけたけどな」と言われ、羨ましかった。
僕が風俗店におよび腰なのは、きっと行けば骨抜きにされると危惧してのことだ。昔、フィリピンパブに行った時、帰り際、あんまり日本語が話せないとかで、口数の少なかった女性に、同じように喋り下手の僕はちらちらアイコンタクトしていると、その度ほほえまれていたので、後ろから肩に手を置かれ、耳元で「マタキテネ」と言われた時、手の置かれた部分がとろけるように甘くしびれたのを覚えている。しかし、その店に連れて行ってくれた男とその夜不仲となり、もう行くことはなかったが。
うだつの上がらぬ男が、リッピサービスだとは言え、ナイスバディで金さえ払えば触らせてくれる女性に「また遊びにおいで~」と言われたら、行ってしまうに決まっている。髭が濃くなり、飲酒と入浴が趣味の普通のおっさんになったので、僕だけ例外というのはあり得ぬ。
純文学とか呼ばれる小説を読んで何か自分が凡百とは違うと思えた二十代はほぼ終りつつあり、ユーチューブで自分と似たような独り身の工場勤務者だとかフリーターだとか低所得者の休日の過ごし方なる動画を観てたらトップ画面にそういう系の動画ばかり並びだして気分が悪い。弱者男性、という単語がちらついて以来、自分をその言葉に当てはめるようになり、早くこんな社会から脱出したいという思いは強まるばかりだ。
今晩は禁酒する為に日記を書いて過ごします。
新人が休みだったので、今日は気楽な勤務でした。溜まった事務作業をしながら忙しい時間だけ現場を手伝って、一人で最後は片付けして帰りました。
施設の中にある小さな食堂である僕の職場に最近、新人が入りまして、僕はこの人に引き継ぎして辞めるつもりなのですが、この人で大丈夫だろうかと不安になってきています。
その人は昔、割烹料理屋に丁稚奉公(現実でそんな言葉を初めて聞きました)して、十年以上和食の世界で働いてきたらしく、僕なんかより衛生面の知識だったりアイディアだったりが豊富で、こうしたほうが良い、という見解を述べてきます。正直、早く食堂のルールを覚えて、パートのおばさんたちと衝突せずに上手くやっていって欲しいと思っている僕からしたら、うっとうしいです。他の人と違うことをしたら、怒る人達ばかりなのです。まずは、皆と同じことが出来るようになってから、思う事はあるだろうけど、今は黙って覚えて欲しいと、思っています。
経歴がもったいないので、本当にうちで大丈夫ですか? と面接では何度も訊きました。なんで、未経験でも出来る食堂の求人に応募してきたのか不思議だったのですが、他で正社員で働けるところがない、みたいな話をパートの女性にしたみたいです。パートさんの中に、新人さんと幼馴染の方がいて、二十年以上会っていなかったけど、うちで偶然の再会を果たしたのです。で、新人さんはその女性にだけ、自分が昔、仕事中に倒れて、心臓が止まり、次の日の朝に発見されて救急車で運ばれた話をしたようです。脳に少し障害が残ってしまい、最近ようやくまとまった時間働けるようになったから、正社員をしようと思ったみたいで、「働ける場所があるって幸せだよね」と語ったそうです。面接の時に再会した後、その女性は「覇気がなくなっている」と、見違えた様子に驚いていたのですが、僕じゃ耐えられないようなオーバーワークをしてきたのでしょう。そこは、とても尊敬するのですが、明らかに仕事中キレている時があって、「キレてるんですか?」と訊くと「いや、キレてないっすよ。和食屋で働いていたときは年下の兄さんに毎日殴られたり蹴られたりしてたんで、滅多なことじゃ怒らないっすよ僕」と否定するのは止めて欲しいです。キレてもいいけど、表に出すなってことを僕は言いたいのに、認めないので埒が明きませんでした。彼がまな板に付着した衣を包丁の背でふるい落とすのに、包丁をまな板に叩きつけて物凄い音を出した時、僕はつい「もう帰れ!」と言いそうになったのですが、「何してんすか? 大きな音だしちゃいけないですよ」と我慢して言ったら、彼は「いや、料理人あるあるなんで」と返答してきて、僕や周りのスタッフは困りました。明日からまた憂鬱です。
昨晩は大変だった。職場に新しく入った従業員が店の金を抜いていたのだ。昨晩は一緒に精算していたのだが、最後、レジの中のお金が合わない。何度数えても六千円足りないので、僕が帰ってもいいと言ってるのに隣で「合わない場合って、どうなるんですか?」とずっと気にしてる新人を先に帰し、監視カメラを確認したら、新人がエプロンのポケットの中にお札を入れてやがった。精算の時、僕はやることを思い出して、新人にお札を数えておいてと言って、その場から離れた。新人は一人になるとキョロキョロ怪しい動きをしながら、数える為に持っていた札を幾枚かポケットに入れた。頭上の監視カメラの死角になる位置で、別の監視カメラからズームしてぼやけた映像から、何かをポケットに入れたとしか識別出来なかったが、他の時間帯の映像を確認しても、この時以外に、お金が消えた瞬間など考えられなかった。事務所にいた施設の責任者にも観て貰ったら、「盗ってるでしょうね」と言う。くそっ、とつい吐いてしまう。上司に連絡すると、新人には今日中にお金と制服を持って来させて、盗ったと認めさせろと言われて、僕はお腹が痛くなる。新人に電話すると、すぐに出たので、お金を盗ったでしょ? と言うと否定する。僕が監視カメラで観たと伝えると、彼はエプロンのポケットに、たしかに札はいれたけど、あれ僕のですよと言うので、もう間違いなかった。
「なんで、わざわざ店のお金を扱っている時に自分のお金なんて出すんですか?」
「いや、帰る時間だったから」
「そんな理由は通じないですよ。疑われても仕方ないですよね?」
「はい、だから僕のミスです。たまたま自分のお金をポケットに入れてるところを監視カメラで観られたので。でも俺、八千円自分のお金を持っていたのに、六千円しかポケットになかったんですよ。僕の二千円ってどこいったんですかね?」
「そしたら店のお金は二千円多いはずですよね。なんで六千円少ないことになるんですか?」
「なんででしょうね」
今日中に店へ返しに来いと言うと、無理です、今他の市に向かっているんでと言うので明日来てもらうことになった。最初は勢いよく否定していたのに、切り際は意気消沈した声だった。
その後、パートの女性から電話がかかってきて、新人、いや、もう解雇だからおっさんか、その女性に電話をかけてきたそうで「出なかったけど、何かあった?」と訊かれた。たぶん、SOSでもしたかったのだろう。幼馴染で、子供の頃よく遊んで、おっさんはその女性のことを妹のようだと言っていた。僕はお腹の中が気持ち悪くて仕方なく、つい何があったかを話してしまった。
「あんた、明日刺されるんじゃないか? 一緒に立ち会おうか?」
と言って下さり、お願いしますと言ってしまったが、その方がおっさん逆上するんじゃないか? だって、たぶん電話をかけるぐらいだから、好きなのだろう、そのパートの女性を。おっさんからしたら、何でいるの? となるに決まっている。僕が同じ立場だったら、さらに絶望してしまう。なので、立ち会いは断った。
当日、口ではずっとあれは俺のお金だと言い続けるが、横領したと認める一筆を書いてもらう。
別れ際、
「新メニューの提案をしたり、お客様を喜ばせたいと僕、ずっと店長に言い続けてたじゃないですか? こんなに店のことを考えている僕が、盗るはずないじゃないですか」
「でも、盗ったとしか考えられないんです」
「残念だなあ。まあ、メニューのことで困ったら、連絡して下さいよ。俺、力貸せると思うので」
と言って、おっさんは親指と小指を立てて、ふるふる振りながら帰った。気味の悪い人間だった。チャラくて、見習いたい部分は多々あったが、辞めてもらうことになって良かった。
店のお金を盗った新人から、金員と制服を受け取り、彼に一筆書かせて帰した後、ようやっと人心地ついて家に帰った。彼が早めに辞めることになってホッとしている。
気晴らしに隣の市のカフェへ行った。読書していたが、厨房近くの席に座った為、店長らしき男性がバイトに色々指示する声が聴こえてきて、あまり読めなかった。仕事で逆にパートさんに色々言われる自分が、情けないように思えてしまって……。
帰り道、百均でボールペンとメッセージカードを買う。そのまま家に帰らず、西松屋に行って、気になる西松屋の店員に電話番号を書いて渡す為だった。
その女性は、半年前までよく僕が働く施設(パチンコ屋)に遊戯しに来ていた。僕のいる食堂にも何回か食べに来てくれたことがあって、キレイな人だなと思って、見かける度、胸がときめいていた。しかし、最近、めっきり姿を見かけなくなり、僕もあまりその人のことを考えなくなったのだが、パートの人妻スタッフが気になって気になって仕方なくなり、たまに食べにくる旦那さんを見て嫉妬してしまう自分に嫌気がさし、それならば他の女性を狙おう、あの半年前の女性客は今頃どうしてるだろう? と、あの時の彼女への好意を思い出した。
お子さんがいるパートさんが、あの女性は西松屋で働いていると前に言っていた。なので、見かけなくなった当初は、西松屋に行って、商品を並べている彼女をちらっと見て、通り過ぎるというのを何度か繰り返していた。
今度こそは声をかけようと決意した僕は、教えてくれたパートさんに相談した。すると、西松屋のあの人は夕方から勤務していて、十七時以降は一人だけになるんじゃないかと言った。
「じゃあ、サイズ110の黒い半ズボンを買ってきて。うちの子供が今度運動会でいるんだ。その人に、どこに置いてありますか? って訊くの。そしたら付いて案内してくれるでしょ。その間に『職場の人に頼まれちゃって』とか言って雑談してから、電話番号渡したら?」
と、素晴らしい提案をしてくれた。
十七時過ぎ、西松屋に入りあの人を見つける。一度横を通り過ぎ、立ち止り、決意を蘇らせる。緊張の為、お腹が気持ち悪い。昨晩から今日の午前中にかけて起こった新人の横領事件による負荷のせいで、緊張するとお腹がすぐ気持ち悪くなるようだ。同じ不快感を味わいながら、あの人に声をかけた。商品の場所を尋ね、案内してくれて、一緒に110の黒い半ズボンを探してくれる。見つかり、彼女が商品を手渡してくれた後、僕は本題に入った。
「以前、よくあの店で打っていた方ですよね?」
「ええ、大分前にパチンコは止めましたけど。打ちに行ってる方ですか?」
「いえ、僕、あそこの食堂で働いているもので、何回か食べに来てくれたことありますよね? うどんを食べられていたのを覚えています」
「ああ、あそこの従業員さんですか。たしかに見覚えがあるような」
「僕、そこであなたを見かけたときからあなたのことが気になっていたんです。それで、僕の職場にいるパートさんが、あなたが西松屋で働いているよと教えてくれて。この半ズボンも、その従業員に僕が今日西松屋に行く話をしたら、じゃあ買って来てと頼まれたものなんです」
「じゃあ、これはあなたのお子さんのじゃなく……」
「パートさんのお子さんのものなんです。えっと、パチンコを止められたのは、禁酒するみたいなあれですか」
「いえ、私、のめり込むとそれだけにいくのですが、飽きると一気にやらなくなるんです」
「では、今は他のことに夢中だと?」
「そうですね。最近は家でゲームをしてますね」
もう一度、気になっているんですと言うと、お若いですよね、と訊かれ、28歳ですけどあなたも20代でおられるでしょ? と返すと、いえいえ私はおばさんですよおと、中々良い雰囲気で会話の応酬が出来ている。それで、緊張が耐えきれなくなったので、レジの場所を訊き、良かったら電話して下さい、とその場でメッセージカードに番号を殴り書きして渡す。判読出来ない数字になったので、一回書き直した。
「お仕事中、失礼しました」
と僕は別れを告げて、レジに直行して、会計して帰った。
電話がかかってくるか、とてもそわそわしているので、気を紛らわせる為にこんなものを書きました。
西松屋の女性からは連絡がなかった。
期待し続けるのは辛いので、諦めようとするのだが、着信する度に一抹の希望を持って画面を見てしまう。全部、職場からだった。
これから先も小説を読んで、酒を呑むだけの休日になることを考えると、そんなに楽しくない。一人で出来ることで、読書と酒以上に楽しいことはないのだが、上限がある。何べんも同じことをしてきているのでたかが知れている。女性と付き合うというのは、二十八年間も生きてきてほぼ経験がなく、未知なのでこれから先も頑張ろうと思ったら、恋の一つは味わいたい。
とりあえず、ソープに行ってみよう。
抵抗はある。二万円以上はするはずで、一時間ほどでそれを一気に使うのは、嫌だ。我慢しようと思えば出来る。今までだって、ソープに行かなくたって生きていけたのだ。でも、今僕を包む閉塞感から抜け出すには、ソープに行くしか考えられない。ジムで筋トレもしたし、行きつけのバーも行ったし、好きな作家の小説も読んだし、それでも足りないなら、あとはソープしか考えられない。後回しにしてきたけど、こんなに行きたいと思うのなら、行くべきだ。
車で一時間ほど走るとあそこに着く。まずは腹ごしらえで、魚市場で海鮮丼を食べる。千八百円で、結構量が多かった。その後はブックオフでお買い物。文庫を二冊買う。
そして、目的地のソープへ。行く前にコンビニでお金を下ろす。建物に近付くと、強面の男性と紳士風の老人がいて、誘導してくれる。強面の男性に、「初めてなんですけど、三万五千円で足りますか?」と確認すると「大丈夫ですよ」と微笑んでくれた。紳士風の老人が店内へ案内してくれて、コース表を見せてくれる。マットの有無と時間で料金は変わってくる。マット付きの方が高い。ここのソープを勧めてくれた人は、マットの上でローションを使った素股が良いと言っていた。マット付き八十分で二万五千円。値段もその人が言っていたのと同じで、これにした。次は女性の顔写真が並んだものを見せてもらう。皆、若い。その後、一つだけ顔写真がなく「地元の人間の為、写真は載せていません」とだけ書かれている黒枠に目がいった。りょうこさん、と名前はある。この人にするだろうなと思いつつ、黒髪で三十代、四十代の女性が良いと紳士風の老人に伝えると、一人の顔写真付きの方を指して、「写真では金髪ですが今は黒だったような」と言う。若そうな女性だ。僕は三十代以上が良かった。「こちらのりょうこさんっていう方はどうですか?」と僕から尋ねると、三十代ですとのことで、じゃありょうこさんでとなった。待合室のソファで寛ぎながら、ウォーターサーバーの水を呑んで待っていると、老人に呼ばれる。上の階の踊り場から手を振っている女性がりょうこさんだった。階段を上っている最中にこけてしまう。
「大丈夫?」
「初めてのソープなんで緊張しちゃって……」
「私もおっちょこちょいだから、よくこけそうになるんだ。気を付けてね」
案内された部屋は八畳間が二つで、一つは浴室になっていた。僕がどこから来たか告げるとトウモロコシの話になった。僕が住んでいるところには、近くにでかい山があって、そこで獲れる白色のトウモロコシが美味しいらしい。りょうこさんはトウモロコシが好きで、小学校の時、クラスで夏野菜を育てていたけど、トマトやナスは生ったのにトウモロコシだけ上手くいかなかった。だから私にとってトウモロコシを育てる人は凄いなって思っているんだと、りょうこさんは陽気に話してくれる。話し中もりょうこさんは浴槽にお湯を溜めたり僕が座るであろう椅子にタオルを敷いたりして、準備が出来たのだろうタイミングで「服ぬごっか」と言ってくれる。
終わった後は、ペットボトルの冷たい緑茶を紙コップに注いでくれて、それを呑む。りょうこさんは絶叫系が好きだけど、ワシューザンハイランドの高いレールの上を自転車で漕ぐアトラクションだけは本当に恐いだとか、神社が好きで、出雲の日御碕神社に行こうとしたら前夜の大雨で土砂崩れが起き、通行止めで行けなかった。残念だったけど、他の客にこの話をしたらお前はついているんだ、巻き込まれなくて良かったじゃないかと言われたそうだ。そんな話を聞いていたら、八〇分はすぐに経った。一緒に部屋を出る時、彼女は、腕を組んでくれた。
「また来てね~」
と、りょうこさんが最初に見かけた階段の踊り場で手を振って見送ってくれる。
目的を達し、僕は日本海を見て家に帰った。ソープは楽しかった。
マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』は、上巻の三分の二辺り、クルルがパリに行ってホテルで働き始めてからが面白い。お宝を盗んだり、買取業者とかけひきをしたり、恋したりされたり、と冒険小説になる。
それまでは、自分の幼少期から青年になるまでを回想するのだが、思い出しては細部を語って、時間の流れを止めるので、退屈なところが多い。
それでも、主人公はひょうひょうとしており、どんな困難も弁舌と演技で乗り越えるので、語り口はユーモアで楽しく読み進める時もある。自分でも一度は思ったことのあることを文章で立派に書いてくれていると嬉しくなる時もある。
例えば、言葉では表わせない沈黙の領域、あの言葉もない原初の状態、を伝えようとしても、言葉にすると陳腐に堕してしまう、とか。
退屈と楽しいを繰り返しながら読んでいる。感情や動機、人間関係を細かく分析して書いてあるので、内容は分かり易い。エドワード・ゴーリーが、マンの小説は書き過ぎていると何かのインタビュー本で読んだ記憶がある。省略のしかたや書かないことに魅力を感じる人は、合わないが、書かれてあることだけしか受け取らない僕は、自分に合った作家だと思っている。けど、下巻の三分の二辺りで、動物の起源や宇宙論をクックック教授が語り出してからは、読むのがたいぎくなった。学術的な説明を詰め込んだって、伝えたいことは、無の中に有はあるとか、生きるとは死ぬことだとか、時間の解釈だとか、大人になってから宇宙にハマった人の話みたいなものだから。一応、最後まで読み通してはみるつもりだけど。
マンの小説を読んでいると、悲劇でもそれを暗くなり過ぎないよう、諧謔を失わない文体で書いてあって、だから長くても読めるし、長いから読んでいると登場人物たちに愛着が湧いてくる。『ブッデンブローク家の人々』の、二男クリティアンは、道楽者で働きたくても働けないと言って兄にうとまれ、最後には結婚した相手に精神病院へ入れられ、親から相続した財産を奪われた、一番可哀想な人物だ。兄と会えば、いつも「兄さんには分からないだろうけど…」と繰り返し、怒らせてて、登場する度、面白かった。なつかしくてもう一回読みたくなってくる。
あと、好きな小説の人物と言えば、『電気サーカス』の水屋口悟が好きだ。自分もクズだからと開き直ってるのか諦めているのか、同じような他人を受け入れて共同生活をする度量に憧れる。そしてそれを深刻にならないよう一人称の「僕」が語っている。たぶん、実際に同居していた人たちに読ませたら、救われたと思わせる書き方をしている。
気味の悪い、訳の分からない人間が登場する小説もたまに読んだら面白いけど、気持ちの想像しやすい人間達が愚かな事をしたり頑張ったり自殺するまで落ち込んだりする人生を、暗くならないよう書いている小説の方も好きだ。
10月
マッチングアプリの通知が来てないか確認する度、何やってんだか、と情けなくなる。仕事中でもついログインしてしまうから早急に退会した方が良い。何度見たって、いいね、は来てないし、メッセージも届いていないのだ。でも彼にとってマッチングアプリで女性とやり取り出来る望みが、今一番人生を前向きにしてくれると夢中になれる、クモの糸なのだ。
こんな女性とラインを交換した。
いいね、を向こうからくれたので、彼も、いいね、をしてマッチング成立。プロフィール画像は顔写真だがぼかされて良く分からなかった。でも、彼の一つ年上で、年齢は近いし女性なのでとりあえず良かった。彼女はこういうアプリは初めてで、登録したら男性からいいね、ばかりきて困った。こんなはずじゃなかった。変なメッセージも多いしとメッセージを送ってきた。女性はひっぱりだこで大変だろう、と思い、メッセージをやり取りしていると、アプリは通知が多くてあまりログインしないから、ラインでやり取りしませんかとすぐに提案された。彼にとっては願ってもないことだった。ラインでのやり取りが始まってすぐ、彼女から身バレしたくなくてあのアプリでは載せなかったけど、と写真が送られてきた。
彼は少しブスでも良いと思っていた。ブスじゃないと相手にされないぐらい彼にも分かっていた。
許せるぐらいのブスだったら良いなと思って、写真が送信されましたとの通知を見てから二時間ぐらいおいて写真を見た。驚く程可愛かった。彼は拾い物をしたと有頂天になった。こんなことってあるんだなあ。メッセージを重ねていくと住んでいる所が同じ県北というのも判明し、彼は彼女と出会えて本当に良かったと舞い上がった。しかし、少し気になる点があった。彼女の返信がテンプレめいている。職業を問われたので返答すると「そうなんだ」で、自分の話になる。最近ハマっていることを問われたので、会話が広がりやすいよう県北の有名な場所を話題にしても「そうなんだ」で、自分はディズニーランドが好きだという話になる。それで、今度は動画が送られてきた。彼はその時、図書館にいた。本も読まずマッチングアプリで知り合った女とのラインに没頭していた。しかし、動画は観られないので駐車場に停めている自分の車に戻って観た。動画は台湾のディズニーランドに行った時のものらしく、オシャレなBGMが流れながら彼女が楽しそうに園内ではしゃぎまわる様子が編集されていた。
「ちょっと若作りしすぎちゃった。こういうの好き?」
と、メッセージが届く。彼は頭を抱えた。
さすがにこれはやり過ぎだ。怪しい、と彼は思った。あと、台湾のディズニーランドに行くのが趣味だという女とは付き合えない、と彼は思った。そんな金はないし連休も取れない。釣り合わなさすぎる。
「今日は少し体調が良くなくて、ちょっと横になるね。今度は電話で話しようね。出会えて良かった」
と、メッセージが来て、こんな男を喜ばせるセリフをぬけぬけと吐ける女が素人のわけがないと疑った彼は、彼女のラインアカウントをブロックして削除した。彼はかつての自分よりも用心深くなったことに誇らしさなど微塵程も感じず、自分が女性を求めたらこんな結果にしかならないことに世界の悪意を感じて自暴自棄寸前に陥った。もう本など読めなかった彼は図書館を出て居酒屋に向かった。酔いが回り出すと、サラリーマンをして、マッチングアプリをして、寂しく独り呑みしている、あまりにも普通すぎる自分にみじめさを覚えた。
店を出て帰っているとソープに行きたくなった。女性のことで傷ついたから女性に癒して貰いたかった。だけど、行こうにもあそこは遠いし金を衝動で2万5千円使うのはもったいないと理性が働いた。こんなものは一発ヌけばおさまるさ、と知っている彼は、近くに河原があったので、暗く人気もなかったので、茂みをかき分けていった。スマートフォンでAVを流し、自慰をした。草むらに寝そべったり、ブロック塀に寄りかかったり、姿勢を変えながら諸悪の根源を放った。手についたそれを葉っぱになすりつけるが逆に掌に広がったので着けていたマスクで拭いた。そして彼は帰宅した。
後日彼は、このような女性とラインを交換した。
河原で自慰した帰り道、マッチングした。彼女は婦人服の店で働いているとメッセージを送って来た。彼は彼女の仕事に関心を寄せて、人材育成だったり、売上上げたり、知り合いでアパレルしてる人は風呂入れんぐらい病んだって言っていたとメッセージを送った。
それから返信はなかった。
やり取りが彼の一文で途切れた事に、彼はまたもや自分のせいだと感じた。今日だけで女を二人喪ったことになる。彼はコンビニで発泡酒を買い、呷りながら帰った。
次の日の夕方、アプリを開くと彼女から返信が来た。
『そんなに深刻ですか。時々疲れますが、私は対処することができます』
続けてラインを交換しようとあった。
『ラインを通じてより楽しいコミュニケーションをとりましょう!』
という、今読み直すと例文みたいな文面だ。だが彼は怪しまなかった。自信を取り戻せて嬉しかったのだ。ラインを交換してすぐ、彼女から『もし私たち良い友達になれたら恋人になる方向に進めるかもよ』とメッセージが来た。彼はちょっと強引そうな姉御肌っぽい彼女のメッセージにやに下がった。
そのメッセージを貰った時、彼は関心のある作家のトークイベントが終わった直後だった。イベントの主催者が、この後皆で一緒にご飯を食べに行くから参加したい人は是非と募っていた。彼はそちらに行こうと思ったが、彼女から続けて届いたメッセージに足を止めざる得なかった。彼は彼女に今日は休みだということを伝えていたので、『どんな予定があるの?』との彼女からのメッセージに、もしかして自分が暇なら今日、これから会えるのだろうかと期待してしまった。もう夜の九時前だったが、そうなれば高速道路で車をぶっ飛ばして行こうと決めた。しかし、ただ何をするか訊かれただけで、彼女にそんな意思はかけらもなかった。彼は、トークイベントの会食に参加出来なかったのは、いやらしい自分への罰だと思った。
彼女とのラインでのやり取りは毎日続く。一週間程続いた。しかし、彼は彼女に対して疑心が生じていった。送られてきた自撮りの写真が、モデルみたいに美人だし、NFTという仮想通貨で売買するトレーディングカードの話をされるし、何より日本語が少しおかしい。NFTという知らない単語を出された時は、調べてみて鼻白んだ。だけど、毎日彼女からラインであいさつをしてくれるし、恋愛感情を掻き立てるメッセージを送ってくれるので、楽しみだった。だから彼は彼女に、あなたを疑ってしまうような、その日本語がたまにおかしい文面を送ってこないで欲しいと願った。日本語が少しおかしい度に、彼は彼女に怒りと、その直後にやっぱりこれはロマンス詐欺の序章でしかないのだろうかと、消耗した。現在彼は、気力が尽きかけている。彼女からのラインを煩わしく思うようになっている。
彼女とのラインを友人に読んで貰った。友人は「詐欺だと思う。明らかに日本語おかしいから」と言い、彼は彼女をブロックした。
12月
マッチングアプリで新たに二人の女性と知り合った。一人とは先月会って一緒に昼ご飯を食べた。もう一人とは明日の夜会う予定だ。
既に会った方は、初めて会った日に漫画を貸してくれたり、その後も向こうからたまにLINEを送ってくれたりするので、脈はあるのだと思う。仕事も病院で栄養士をしているようで、おそらく僕より収入が上か同じぐらいだ。大学を卒業してずっと正社員で働いてきたと言うから、僕と違って立派だと思える。だけど容姿が良いとはいえず、僕は相手を舐めているところがある。他に当てもなかったらこの人で良いかという相手に失礼な態度があることは否定出来ない。ラインをしたり次に会う約束が出来ても、陶酔境とはほど遠い。今まで女性と交際らしいお付き合いなどしてこなかったのだから、相手に容姿の良さなど求めていないとは思っていたのに、抵抗感というのはあるものだ。しかし、釣り合っているんじゃないかという安心感はある。
もう一人の方は、西松屋の、僕が以前電話番号を渡した女性だ。マッチングアプリで女性たちのプロフィールを眺めていたら、どうもその人らしい後ろ姿の写真を見つけた。メッセージでやり取りし出すと、住んでいるところが同じ市内だった。彼女からの「お互いどこかで会ったことがあるかもしれませんね」とのメッセージに、僕は西松屋で働いるかどうか尋ねずにはおれなかった。そして、実際そうだった。彼女は電話番号を貰ったのは嬉しかったけど怖くてかけられなかった、とメールを送ってきた。僕がこの話を母親にしたら、電話をかけないのが正常だということだ。その方は毎日二十一時に一度だけ、あるいは二日に一度だけしか返信しない。僕は嫌がられているわけではないと分かった上で、西松屋に三日連続行って、彼女が三日目にいたので声をかけた。仕事終わりのスラックスとワイシャツ姿で行ったのが功を奏した。前会った時と全然印象が違うと言われ、その日の夜、二日ぶりの返信にはご飯を一緒に食べに行きましょうというお誘いがあったのだ。とても舞い上がり、自分の私服センスは良くないとの啓示を受け取ったので、周りから良いセンスをしていると評判の、母の再婚相手に冬服を見繕って送って欲しい、金に糸目はつけないからと依頼した。テーマはシンプルイズザベスト。大人らしい服をお願いしたら、紺のコートと白のセーター、ベージュのタートルネックを送ってくれて、黒いズボンかジーンズで合わせてと言われたので、その通りにして一式を着てみて自撮りしたら違う自分みたいで、とても自信がついた。引っかかるところは、彼女は歳が三十七で僕より九つ上、アプリのプロフィール欄にははやく結婚したい、子供は欲しい、とあって、もし本気で付き合いたいと思うなら、急ピッチで結婚、子供を出産ということになる。まだ一度もじっくり話したこともないが、上手くいったら、覚悟しないといけない。今の年収じゃ西松屋のパートをしている女性と子供を養うなんて無理だし、転勤して出世していく今の会社は辞めないといけなくなるが、正直、余所の会社で正社員としてやっていける自信が全然無い。今のところはゆるゆるで、だからこそ続けられているというのが自分含めて、母親の見解だ。僕はきっと男社会では生きられないだろう、と、職を転々としてきた僕をずっと見てきた母親に言われると首肯せずにはいられない。仕事、どうしよう。
彼女には持病があるらしく、今も病院に通っているみたいだ。前の仕事も体調を崩して辞めたと言うから、あまりに彼女に関しては未知なことが多い。
黒髪のミステリアスな女性がタイプです。
今日は西松屋の女性と二度目の会食です。一度目は二週間前で、一時間半共に過ごして思ったのは、案外、普通の女性だということでした。僕が働くパチンコ屋によく来る女性だったので、働いていた元ホールスタッフだったり、常連の方で僕が通っている床屋のお兄さんだったりがその女性のことを知っていて、僕がミステリアスと形容したら、どちらも「いや、怪し過ぎるだろ」と言っていました。
謎の要素一 めちゃくちゃパチンコに負けている
床屋のお兄さんが言うには、自分が行く日は大抵居て、何万円も注ぎこんでおり、かなり負けていた。見なくなった現在、もう限度額に達していて使えるお金が無いんじゃないか。君の楽しみを奪うわけじゃないけど、気を付けたほうが良い。もしかしたら、もう借りれないぐらい借金があるのかもしれない。ていうか、あの人、独身だったの? 俺、主婦かと思ったよ。
謎の要素二 人当たりがキツいらしい
元ホールスタッフであり、今は僕と一緒に食堂で働くパートさんが言うには、会員カードを作りませんかと声をかける度、無視したり、睨んで舌うちしたりしてたらしい。休憩中にして下さい、とその女性は言って、台から離れてお金を下ろしに行っていた。ギャンブルする人はなあ、あんた止めたほうがいいよ?
パチンコで負けていた話は、彼女本人もしてくれました。現実逃避がしたくて、何万円も使ってしまった日は、とても後悔した。今はパチンコもスロットも飽きて、スマートフォンでゲームしたり海外ドラマを観て現実逃避している。現実って、辛いじゃないですか? とその方は語ってくれましたが、ギャンブルをすることで得られる充足感を、他で代替出来るものだろうかとは拭えない疑問です。友人に、パチンコ屋に行きたくないのに行ってしまう奴がいて、今回はいくら負けたとかLINEしてくるので、既読スル―しています。じゃあ止めれば、という言葉をかけても無駄だからで、それはお酒を毎晩呑む人に呑むなと言うのと一緒で、僕が出来ないからです。
話しているとこの女性は、たぶん、鬱病になったことがあって、パートでは働けるぐらいは社会復帰出来ており、生活費などは実家で家族が出してくれるから、稼いだお金を趣味につぎ込める身分なのでは、と想像しています。僕はありえた自分をその女性に重ねられるのです。
僕も、自分がいつまで今のところで働けるか不安です。そもそも、今は正社員で働いていますが、ずっとパートで色んな職場を転々としていたんです。就職しても三か月以内で二つとも辞めたので、自分には正社員なんて無理だと思い込んでいた時期が長く、今も仕事は辞めたいです。三角形の頂点に板を置いて、その上に立っている状況で、いつ傾いて土台から落っこちるか分かりません。今では正しいと思えますが、母親が僕を実家に住まわせない意思が強いです。母熊はね、子熊を木に登らせて、立ち去るの、という寓話を母から聞かされた時は、もう戻れないぞと思いました。あと、母親が再婚して子供も産んで新しい家庭を築いたことは、家を出るキッカケになりました。そうじゃなかったら、僕もフリーターをしながら母親に寄生していたと思います。
なので別に、パチンコで大負けしようが、現実が辛くて先のことをあんまり考えないようにしていようが、フリーターだろうが、僕だって似たような人生観なので、似た弱さを持つ変わった女性に惹かれたのでしょう。気になる点が、仮に付き合えたとして、僕が働いたお金は彼女のギャンブルに使われるのでは? 子供が欲しいとプロフィールに書かれてあったので、もし仮に結婚したとして、僕の稼ぎだけじゃ二人を養えず、彼女の実家に寄生するしか生きられず、肩身の狭い生活なのでは? そんな状況でも、僕は彼女がパチンコ屋で大負けするのを許せるのか?
これを人に話したら、「許せないでしょ」と言われました。
でも、悪い方向にいくとは薄っすら予感出来ても、そっちを選びたい気持ちを捨てられないのは、彼女と話していたら楽しいし、言動が可愛いからです。
西松屋の女性とは別にもう一人、同じマッチングアプリ上で知り合った女性は、僕よりしっかり仕事をしてきて堅実に生きていますが、一緒に食事をしていて、話題を考えるのがしんどい時があったり、四回会っても可愛いと思えません。
僕は、知り合った女性の前では、今は取り繕って仕事頑張ってますという態度で喋ってますが、実は今働けているのは運が良いというだけで、上司や一緒に働く人達にいびられたり怒られたりしたらどうなるか分かりません。辞めてフリーターになりたいとか言ったら、見向きされないので怖くて言いません。
なんだか恋人なんて出来ない気がしてきました。もっと、前向きに頑張れるんじゃないかと、救いの女神を探すかのようにマッチングアプリを始めてみて、女性とお食事出来たのは楽しかったですが、先のことを考えると足踏みしてしまいます。自分に期待出来ないのに、どうやって女性たちに僕をアッピール出来るのか。気が滅入ってきた……。